熊本城は日本三大名城の一つで、大変に広いお城です。熊本地震から5年以上経過しましたが、手付かずの櫓もあります。「奇跡の一本石垣は飯田丸五階櫓」が全国的に有名ですが、この戌亥櫓も「奇跡の一本石垣」です。平成28年の熊本地震で熊本城は二カ所の櫓で奇跡の一本石垣が出来たことになります。上の画像の戌亥櫓の石垣は本当に不安定な状態です。震度4ぐらいの地震で石垣も櫓も崩れ落ちるかもしれません。早い修理が望まれます。下の画像、本丸にある大天守閣も素晴らしいですが、二の丸周辺にある、崩れた石垣などをゆっくり散策されませんか。地震の凄さや恐さを感じることができます。三分の一の石垣を修理する必要があります。修理には長い長い時間がかかります。

大天守の南に設置された空中回廊から撮った写真です。一番高いのが天守閣です。天守閣の下に見えているのが、本丸御殿の茶室です。右側の高い石垣が二様の石垣です。右が清正公時代の石垣です。左が細川時代の石垣です。石垣の上に少し見えている屋根が本丸御殿です。本丸御殿も熊本地震で被害がありました。54億円かけて平成20年に完成した御殿に早く入れることを強くのぞみます。


上の特別見学通路(空中回廊)の床はヒノキ材で17億円の工事費用がかかりました。下の天守閣はなんとなんと86億円。空中回廊と天守閣で103億円です。令和の天守閣は地震に強い構造ですが、その地震に強い構造を見ることができるように建設されました。天守閣内部の展示資料も格段に充実しました。入口にある深い井戸は見ごたえ十分です。熊本城の深い井戸は見応え十分です。

戦国武将の加藤清正公が火の国、熊本に築いた城は規模の大きさ、堅い守り、見事な石垣で知られる日本屈指の名城である。天下分け目の関ヶ原の戦いは1600年の9月15日である。その一月後の清正書状に「黒田如水殿を熊本の新城でもてなすので完成を急げ」と指示している。関ヶ原合戦の時はこの大天守閣の新築工事は急ピッチで進んでいたようである。清正公の天守は大天守閣だけで小天守はつくらなかった。さて、熊本城がある茶臼山は約9万年前の阿蘇火山の火砕流堆積物で出来ている。城域は三つの川の浸食によって、高さ25m~45mの崖が形成され、天然の要害になっている。阿蘇から50キロの距離にある茶臼山であるが、阿蘇火砕流は新幹線なみの猛スピードで流れ下ったと言われている。阿蘇4の火砕流大噴火は9万年前の噴火である。