令和4年は春に4回、秋に3回、江津湖フットパスを開催しました。

令和4年は江津湖フットパスを7回開催することができました。その内の春4回は「全国都市緑化フェアー」の事務局からの依頼分です。本当に有難いことです。毎回、多くの参加者がありました。7回のうち6回参加していただいた方もいらっしゃいます。この回数にはビックリですが、ガイド冥利で、うれしくなります。熊本大学の前身は五高であるが、五高時代ここに漕艇部の艇庫があった場所である。夏目漱石は明治29年4月第五高等学校の先生として、熊本に来ている。4年3か月英語をおしえていた。その間に漕艇部の部長もしていて江津湖にはよく足を運んだようである。水前寺公園でも、江津湖でも多くの俳句を詠んでいる。漱石は水前寺江津湖公園が大変、気にいっていたようである。


上の写真は出発前に、マップで歩くコースを説明しているところです。場所は県立図書館の東、熊本市体育館の敷地になります。この場所には明治41年~昭和54年までアルコールの醸造が行われていました。工場は赤レンガと高い煙突が特徴的でした。工場からの不透明な鉛色の廃液が江津湖に流れ込んでいることを、徳富蘆花が文章にしている。70年以上にわたってアルコール工場の廃液が江津湖を汚したことも事実である。

私は、芭蕉があるこの付近が大好きです。夏目漱石も芭蕉が好きだったようで、いくつも芭蕉の俳句を詠んでいる。一句紹介しよう。「恐る恐る芭蕉に乗って雨蛙」高浜虚子は「縦横に水のながれや芭蕉林」と詠んでいる。虚子も芭蕉と伏流水の生命力に感動したのであろう。虚子が俳句雑誌のホトトギスに載せて、江津湖の芭蕉林が全国的に有名になったといわれている。芭蕉の葉は冬は茶色に枯れてしまう。夏の芭蕉は緑色で、わたしは緑の芭蕉林が生き生きとして好きだ。

上の画像は下江津湖である。上江津湖の3倍の広さはあるが、湖の透明度は上江津湖に比べるとかなり低い。低い理由は、湧水量が少ないからである。五高の漕艇部の部長を漱石はしていたが、当時は下江津湖も今よりも綺麗だったのであろう。友人達と水泳もたのしんでいる。中の島の左側に見えるのが、飯田山である。飯田山と金峰山の背比べの面白い民話が残っている。

この川は健軍川で、沢山のアユが群れている。江津湖周辺のアユは縄張りはない。球磨川のアユみたいに大きくはならないようだ。温暖化で海や川の水温が上昇し、アユにも住みにくい環境になっている。健軍川は水無川といわれている。ここから上流1キロには水は全くない。上流約600m(元市民病院付近)から忽然と伏流水がこんこんと湧いている。雨でない時の川は湧水ゆえに非常にきれいである。しかし、ひとたび大雨が降ると、水かさが増えて汚れた茶色の健軍川に変身する。ここから約100m下流で加勢川に合流する。そして健軍川の名称はなくなる。

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