当日は早くから雨の予報でしたので、参加者は10名ぐらいかな、と考えていましたが、なんと33名ご参加いただきました。また何人かの方から後日連絡があり、「楽しかったです。また参加させてください。」と本当にガイド冥利につきるお言葉を頂きました。さて日本一の地下水都市熊本その代表、シンボルが江津湖です。水前寺江津湖湧水群は平成の名水百選に認定された。平成20年には「日本水大賞グランプリ」を熊本市が受賞した。平成25年には国連の水管理部門で「生命の水」最優秀賞に輝いている。これは恵まれた水を涵養、保全して限りある地下水を後世に守り伝える行政(熊本市など)の取組みが高く評価されたものである。江津湖は熊本城から南東に約5kmの位置にあり、長さ2.5キロ、周囲6キロ、湖面の面積50ha(東京ドーム10個分)の広さを誇っている。加勢川の一部で中央部がくびれたヒョウタン型をした河川膨張湖である。水温は年間を通じて18度ぐらいで、湧水量は昭和37年日量、約90万トン(毎秒10トン)ありましたが、現在は激減し日量約47万トン(2018年の平均)と約半分になった。上江津湖の日量は46.5万トン、中江津湖の日量は約7.4万トン、下江津湖はここ5年湧出ではなく、-7.7万トンで、浸透している状況です(上の画像は加勢川と石畳、いつも川の水はきれいに澄んでいるが雨で少し濁っていた)

夏目漱石の句碑「ふるい寄せて白魚崩れん許かりなり
漱石は明治29年(1896年)第五高等学校の教授として熊本にきています。熊本時代、小説は書かずに九州各地に旅をして多くの俳句を詠んだ。熊本での4年3ヶ月の間に、約1000句の俳句を残した。江津湖でも四手網漁でたくさんの白魚(しらうお)がとれたか。漱石は明治41年2月9日の九州日日新聞に水前寺と江津湖のことを書いている。彼は水前寺公園や江津湖が頗る気に入ったらしくよく足をはこび俳句もたくさん作っている。「湧くからに流るるからに春の水」は漱石が作った約2600句の中で最高傑作と言われている。第五旧居の犬にまつわる、漱石と警官のやりとりは非常に面白い。警官に漱石いわく「うちの犬は利口で人相が良いひとには吠えかかるはずがない、噛みつかれるのは人相が悪いか、犬に敵意があるもので犬だけを責められない」と、妻鏡子さんの後日談によると「ある夜、犬が激しく吠えていた。家に駆け込んだ漱石は顔が真っ青でズボンはやぶれていた」と述懐している(あまり利口な犬ではなかったか「笑い」)

あと200mでゴール地点です。みなさん3キロを「止まっては歩き止まって歩き」されましたので大変だったとおもいます。最後はやっと雨も上がりました。下江津湖に来ました。上江津湖と比較すると色々なところが異なります。広さでは下江津湖が3倍の大きさになります。残念なことですが、下江津湖は湖の透明度が低く、あまり澄み切ってはいません。湧水量が少ないので綺麗な水とは言えませんね。夏目漱石は熊本時代、五高主催の下江津湖でのボートレースに出場している。またレースの審判部長等もしていた。ここで友人と水泳をして、楽しい時間を過ごしたようだ。スポーツマンの漱石にとって江津湖は「命の洗濯ができる、至福のひととき」だったかもしれない。

 熊本市の指定外来魚6種類は、●オオクチバス(ブラックバス)、●ブルーギル、●カダヤシ、●ナイルティラピア、●ジルティラピア、●カムルチー熊本市では、平成27年度に電気ショッカー船を導入して、平成27年度から魚類の生息状況調査を、平成29年度からは、指定外来魚の駆除を始めました。熊本市の条例により、江津湖地域に6種の指定外来魚を放すことはできません。また、釣りあげた指定外来魚は再放流(リリース)も勿論禁止です。そのため、市が指定する回収生簀か、回収箱に入れる必要があります。(因みに駆除で多いのはティラピア)

下江津湖の今昔 南の正面に小さな島が見えますね。あれが下江津湖に元々あった中の島です。上江津湖の中の島は人工の島です。あの中の島に昔、茶店があり、ボートを漕いで渡りかき氷を食べていた。南門からはわかりにくいですが、南東にある島が「竜の鼻」です。元々は陸続きでしたが水の流れが悪いので島になるように切り離しました。

動物園の南門付近で阿蘇溶岩と砥川溶岩の説明 益城町の赤井地区で約15万年前に火砕流噴火した赤井火山の砥川溶岩です。この「砥川溶岩と阿蘇溶岩」によって、熊本は日本一の地下水都市になったと言われています。溶岩が冷えて固まる間に火山ガスがぼこぼこと穴をあけ、水をため込みやすいスポンジ状の溶岩になった。

自噴の湧水を見てください。この「突き井戸」は砥川溶岩層まで掘り、深さは40mといわれています。熊本地震の時はここに行列ができた。私も20年以上この伏流水を飲んでいます。

健軍水源地は特異な水源 動物園の正面玄関の東側にコンクリートの配水池が見えますが、これは健軍水源地です。ここには2池の配水池があり2池で24000㎥をたくわえることでできます。熊本市は日量、22万㎥を供給していますが、その4分の1(66000㎥)をこの健軍水源地だけで賄う能力があります。

取水井戸は11本で7本が自噴井戸です。井戸の深さは39m~60mです。健軍水源地にある5号井は凄すぎる井戸です。一日の自噴量は15000トンで2㍑のペットボトルに換算すると750万本に相当する。小学校のプールに換算すると50杯分になります。6万人の人口ならこの5号井だけで賄える。因みに熊本市水道局は39カ所の水源地と99本の井戸を管理しています(平成29年度末)

 健軍水源地の5号井(深井戸40㍍の深さ)は第二帯水層から水をひいている。第一帯水層(浅い層)と第二帯水層(深い層)の違いは何か、それは圧力がかかっているかどうか。第二帯水層(深い層)は被圧地下水であるが、第一帯水層は不圧地下水である。水前寺公園や江津湖は第一帯水層からの湧水で不圧地下水と言われている。熊本市水道局が管理する井戸の7割は砥川溶岩層に3割は阿蘇溶結凝灰岩層に入れている。

※参加された皆さんのご協力で、ケガもなく無事に江津湖フットパスを開催することが出来ました。皆さんに心から感謝を申し上げます。コロナが終息していれば10月9日(水前寺公園参道スタート)開催したいと考えています。有難うございました。 熊本面白倶楽部 代表 永田

 

 


国指定重要文化財の長塀修復が令和3年1月29日に完了した。長塀は平成28年の熊本地震により、一部が倒壊するなど全長にわたって被災したため、平成28年度に解体を行いました。熊本地震以前に戻すため、平成31年2月から復旧工事を行いました。工事期間は約2年間を要しました。熊本城には13の国指定重要文化財がありますが、長塀が一番目の重文復旧になります。塀の高さは2.4メールの木造塀です。白と黒の242mにも及ぶ長塀と桜がなかなかの風景であります。外堀の坪井川沿いからの景色は絵になります。長塀下のグリーンの芝生を早く歩けるようになるといいですが、まだ先かもしれません。

2015年の台風15号では西側約80メートルが傾き、熊本地震では東側80メートルが倒壊しました。長塀は直線的塀なので台風や地震等には弱いと言われています。下の画像は城の内側から撮ったものです。今度の復旧にあたってはステンレス製の筋違い材(斜めの部材)で補強した。この補強工事により、台風や地震等に耐える力が格段にアップしました。城内の控え石柱を近くで見ることはまだ出来ませんが、坪井川沿いからは復旧が進む熊本城を体感していただけると思います。

長塀がある「竹の丸」は清正公が藩主として入国したころは、大河の白川が流れていた。加藤時代に川を掘りとし、長塀の内側は竹之丸として熊本城を造成工事した。この周辺はもともとは大河で低かったので、17m盛土している。日本の城のなかでは国内最長級とされる長塀は内側から控え石柱で支えられている。石柱の68本のうち、40本は折れたがボルトでつなぐなどして修復した。屋根瓦には細川家の家紋九曜紋が刻まれている。約7割の木材や屋根瓦は元のものを再利用した。長塀は東西に242mの塀である。西側は馬具櫓の石垣と接している。馬具櫓の石垣も痛みがひどいがまだ手が付けられていない。長塀の解体作業を含む復旧工事費は約2億9400万円である。