熊本地震から3年になる4月13日に江津湖フットパスを開催した。当日は大変に天気がよくて、50名の人が参加していただいた。遠くは福岡から参加して頂いた。参加者が多くて主催者としてうれしい限りである。この祠は「希首座のほこら」と言います。細川ガラシャの夫、忠興は人を切った刀に名前を付けていたと言われています。忠興は大徳寺の希という修行僧を切り殺しその刀に希首座(きっそ)という名前をつけ祀ることにしたのです。戦国時代の猛将、流石の細川忠興も修行僧を殺したので、気持ちが悪かったのか、祀ることにしたのでありました。


この句碑は、夏目漱石の「ふるい寄せて白魚くずれんばかりなり」である。漱石は明治29年五高の先生として熊本にきている。彼は、生涯約2600句の俳句を詠んでいるが、熊本時代に約1000句つくっている。また、漱石はボート部の部長をしていたので、艇庫がある江津湖にはよく足をはこんだと考えるのが自然であろう。当時の艇庫は江津斉藤橋付近にあった。


この川はみずなし川の健軍川である。ここから1㌔上流には水は無く、ここから600m上流附近から忽然と湧水が見られる川である。雨が降らないときは上流域には水はない、しかし大雨が降ると健軍川は物凄い勢いで水は流れる。夏には毎年のように多数のアユを見ることができる。アユは縄張りの習性があるが、江津湖のアユは群れている。

先に見えているのがゴール地点の下江津湖である。ここの下江津湖で夏目漱石は友人と泳いだり、ボート競漕をして楽しい時間を過ごしたようである。今も熊大や学園大のボート部の練習湖になっている。現在、江津湖水守として非常に憂慮しているのは江津湖の湧水量の減少である。白川中流域の水田の増減と湧水量は密接な関係がある。白川中流域とは大津町と菊陽町をいう。大津町や菊陽町の市街化が進み、水田の耕作面積も大幅に減った。白川中流域の市街化と減反で江津湖の湧水量は大きく減った。日本人が昔と比べて米を食べなくなった。米の消費量は57年前と比較して半分以下である。これでは水田の減反をせざるを得ない。我々日本人は健康によい、お米をもっともっと食べなければならない。