熊本城は地震に強い天守閣になることでしょう


修復中の熊本城の天守は震度7には耐えられるように地震対策が幾つも施されている。地震に弱い建物は頭、屋根が重たいものである。昭和35年に完成した熊本城には瓦の下には土がのっていた。令和の熊本城には瓦の下に土はない。屋根を軽くするために色々な工夫をしている。天守閣の最上階の屋根部分は元々は90トンの重さであった。修復後は30%減の60トンになる。このように最上階を軽くすることで、地震に強い天守にすることができる。


熊本城には、地震に強くするために、7種類の耐震装置や制振装置を設置すると言われている。上の写真はクロスダンパーと言われる制振装置である。熊本地震前、熊本城ガイドは天守閣の建物内に入って観光ガイドをしていた。建物にいる時地震に遭遇したらと考えると恐ろしくなる。新天守閣が完成後はまた、建物の中に入って熊本城のガイドをしなければならない。お城は地震に強くなるので、観光客も熊本城ガイドも安心して天守に入ることができる。天守閣に上がると東の方角には阿蘇の噴煙も見える日がある。西は雲仙普賢岳を見ることができる。天守閣の最上階から見る景色は素晴らしい。完成が待ち遠しい

 

 


この石垣の上にあった、櫓名がわかりますか。我々熊本城ガイドでも、建物が無くなると分かりにくいものである。ここの櫓名はニュースでも大変に有名になった1本石垣の飯田丸5階櫓である。今後、石垣をはずし新元号が始まるころには、かなり石垣の解体がすすんでいると思われる。ではなぜ、地震等で一本石垣になるのであろうか。それは、角石を2センチ程度高く造っているからである。この工法を気負という。それでも、一本石垣になるのは大変不思議なことと言おうか。奇跡的な出来事であろう。驚くことに今回の熊本地震で熊本城は飯田丸櫓と戌亥櫓の二つが一本石垣になった。一本石垣について、別の見方をすれば、石垣を造った石工の技術が高かったからである。