清正公が「土木の神様」と言われる理由とは


清正公は長い戦乱の世で荒廃した肥後の再建を領内の全土で行った。町づくり、道路整備、治水や利水の灌漑用水等等、30数カ所の事業の中から河川の付け替えを見ていきましょう。上の写真は3つの川が合流している所である。下の案内板に御船川の字ある。現在御船川は嘉島町の上島附近で緑川と合流している。清正公が肥後に来る前は上の写真の矢形川(右側)と御船川は合流していた。


下の写真2枚は嘉島町上島で緑川と御船川が合流している所である。


わかりにくいかも知れないが、下の写真の右側が大河の緑川である。緑川は名前のように緑色をしたきれいな一級河川です。上流の甲佐町に鵜の瀬堰がありますが、その堰も清正公が築造したものと言われています。


下は加勢川(左)と木山川(右)が合流している写真です。ボートは清正公が築造した河川膨張湖の江津湖(加勢川)に向かって進んでいます。江津湖の周辺は大昔から低湿地帯で稲作には不向きな土地でした。400年まえに肥後の藩主になった清正公は全長12キロの頑丈な塘を川尻まで造りました。塘は普通、両岸に造りますが、この川には右岸しか塘を造りませんでした。南側の左岸に塘がないのは鹿児島の島津対策と言われています。片塘を造ることにより西側の土地は水田地帯に生まれ変わり、東側は河川膨張湖(江津湖)に生まれ変わりました。江津湖には1日47万トンの阿蘇からの伏流水が沸いています。