阿蘇山は大きな大火砕流噴火を4回している。一番古いのがASO1で約27万年前ASO4が一番新しく、9万年前の噴火である。このASO4は凄まじい大噴火で北海道(知床や網走)では火山灰が今でも15センチ堆積している。熊本城の地盤にも40m~70m火砕流堆積物が分厚く堆積している。この堆積物は比較的やわらかい溶岩である。指先は洞穴を指しているが、岩盤が柔らかいので、スコップ等で簡単に掘れる。それに比較して石垣の石は非常に硬い。コンクリートの5倍の強さがある。熊本城の石は金峰山系の山々から切り出したものである。石は輝石安山岩という種類である。


此の露頭は阿蘇溶結凝灰岩である。大昔に阿蘇は大火砕流噴火を何回もしている。北海道で確認できるのは空を飛んだ火山灰である。熊本城の地下で確認できるのは大地を新幹線なみのスピードで流れ下った阿蘇溶岩である。阿蘇溶岩は山口県でも現在確認できるという。一説では阿蘇火砕流堆積物は海面を滑るように進み四国までいったという。熊本地域は4回の阿蘇火砕流噴火と益城の赤井火山の砥川溶岩で日本一の地下水都市になった。赤井火山の火砕流噴火はASO1とASO2のあいだで約15万年前と言われている。この溶岩は砥川溶岩と言われている。砥川溶岩は二の丸駐車場の西側の堀で確認された。なんと地下66メートルの深さに砥川溶岩が堆積している。砥川溶岩がどれくらいの厚さがあるのか、それは調査されていないようだ。

 清正公は石垣造りの名人ではあるが、石垣造りは多くの人手と危険を伴う大変な重労働である。山等から岩石を切り出し、大変重い石をここまで運ぶことは大変な作業である。このような自然の地形をうまく利用して、露頭(崖)を石垣替わりにすると、築城の期間が短くなり、人員も少なく、作業でケガをする職人も少なくなる。熊本城の周囲は5.3キロで非常に広い。城域にはこのように、溶結岩を石垣代わりした所も何箇所か存在する。ここも清正公の知恵の一端を見る思いがする。しかしながら、阿蘇溶岩は輝石安山岩に比べて極めて軟弱な溶岩である。