春の江津湖は一年中で一番素晴らしい季節です。草花も春も謳歌し、大変にぎやかになります。春らんまんの江津湖フットパスに参加されませんか。熊本市認定の江津湖ガイド水守が面白くご案内します。江津湖の資料も充実しています。

日時 令和6年4月20日 受付9時30分 開始9時45分~12時30分解散

集合場所 動植物園正面入り口付近 雨天決行

参加費 700円(保険料 資料代 ガイド料)釣銭の要らないように用意を

動物園正面→中江津湖→上江津湖→水前寺ノリ→芭蕉林→県立図書館付近(約3キロ)

要予約 先着30名 永田 090-2858-4760

当日準備する物 700円 飲み物 マスク

 

 

 


冬の江津湖は水が透き通って、一段と綺麗に見えます。冬の湖は何か魅力的です。江津湖フットパスをご案内いたします。

●日時 12月17日 9時集合 12時解散

●集合場所 動植物園の正面入口付近

●参加費  700円(保険料 資料代 ガイド料)

●要予約 先着30名

●雨天決行

●持参する物 飲み物 マスク

●歩く距離は約3キロ

●コースは動物園正面をスタートし中江津湖、上江津湖、水前寺ノリ、芭蕉林、県立図書館付近まで、加勢川(江津湖)を下流から上流にのぼります。

●江津湖の資料や江津湖にある句碑の資料も充実しています。

●お問い合わせ 熊本面白倶楽部 永田 090-2858-4760


寒い日の江津湖は散歩やジョギングをする人も少なくなりますが、寒い時期の湖が素敵です。寒さ対策をして冬の湖を楽しみましょう。少しずつ遠い遠いシベリア等から来る、渡り鳥も増えてきました。冬は色々な鳥の鳴き声を楽しむことができます。これも寒い冬の魅力の一つです。
水前寺江津湖公園の大きな魅力がこの芭蕉林ではないでしょうか。夏目漱石も大変芭蕉が好きだったようで、最後の第六旧居や東京の漱石山房には芭蕉がありました。芭蕉の俳句をいくつも読んでいます。
この夕焼けは一番下流の広木地区から下江津湖を撮影しています。山はお馴染みの金峰山です。年に数回は素晴らしい夕焼けをここから見ることができます。

夏目漱石は29歳の時、五高の英語教師として赴任しました。漱石は生徒達と真剣に交わります。また熊本で夫となり父親になります。同僚とも真面目に付き合いました。九州各地に旅をして、そこで多くの俳句を詠みました。色々な体験が後の小説で花開きます。そんな、熊本時代の”漱石ゆかりの地を訪ねるフットパス”に参加されませんか。熊本市認定の水守ガイドが面白く案内します。

●日時 10月15日 11月19日 受付8時40分 開始9時~解散13時

●集合場所  熊本市役所正面入口  解散 上江津湖の五高の艇庫跡

●参加費  1200円(公園入園料 保険料 資料代 ガイド料)

●行程 市役所→第五旧居→水前寺公園→第三旧居→ジェーンズ邸→上江津湖※通町筋電停~水前寺公園電停は電車利用

●準備する物 電車賃180円 飲み物 マスク(電車に乗りますので必ず)

●主催 熊本面白倶楽部 永田 携帯電話 090-2858-4760

ここは第三旧居です。明治30年の暮れ、この家から同僚の山川信次郎と小天温泉に出発しました。小天温泉旅行の体験は、後に小説草枕をうみます。漱石は生涯に2600あまりの俳句をつくっています。熊本時代に約1000句つくりました。2600句のなかで一番の秀作は、ここ水前寺成趣園にあります。

漱石は芭蕉が大好きだったようで、芭蕉の句を多く詠んでいます。驚くことには、最後の北千反畑町の第六旧居には今でも芭蕉があります。高浜虚子の「縦横に水の流れや芭蕉林」の句碑もここにあります。

明治30年2月14日、五高のボートレースがここ下江津湖で開催されました。漱石も職員の部で参加しました。漱石はボートが好きで得意だったようです。令和5年の夏、ここ下江津湖で花火大会が久しぶりに開催されました。

 

恒例になりました、江津湖公園フットパスを開催します。去年の春は大イベント「全国都市緑化熊本フェアー」が江津湖等で開催されました。熊本面白倶楽部でも緑化フェアー推進室の依頼を受けて4回江津湖フットパスを開催することができました。さて、5月5日に開催予定の江津湖フットパスは全国的にみても、一級のフットパスコースと考えています。その理由を探ってみましょう ①全国区の歴史あり ②地下水都市熊本のシンボルあり ③芭蕉林などの自然あり ④カモなどの水鳥あり ⑤漱石や虚子等、多くの文学碑ありです。いずれにしても、阿蘇の伏流水がいたるところから湧いていますので、気持ちよく歩けます。●日時は5月5日 ●集合時間8時40分 ●集合場所 水前寺公園参道 ●開催時間9時~12時 料金は700円(保険、資料、案内料)●注意事項 マスクは必着です 解散場所は上江津湖です。●コースは水前寺公園参道⇒ジェーンズ邸⇒旧細川邸庭園⇒芭蕉園⇒水前寺ノリ⇒上江津湖で解散です。 問い合わせは熊本面白倶楽部 永田 090-2858-4760にお願いします。

毎回、大変に参加者が多いですので、早めの申込をお願い致します。上の写真は県立図書館の南隣り、芭蕉園です。夏の芭蕉には、生きるエネルギーをもらえます。
江津湖は歩くのに持って来いの公園です。毎日のように散策する人が大勢います。あなたも江津湖フットパスの魅力に触れてみませんか。魅力に触れると心身の健康がアップしますよ。それは、すなわち免疫力のアップにほかなりません。

令和4年は江津湖フットパスを7回開催することができました。その内の春4回は「全国都市緑化フェアー」の事務局からの依頼分です。本当に有難いことです。毎回、多くの参加者がありました。7回のうち6回参加していただいた方もいらっしゃいます。この回数にはビックリですが、ガイド冥利で、うれしくなります。熊本大学の前身は五高であるが、五高時代ここに漕艇部の艇庫があった場所である。夏目漱石は明治29年4月第五高等学校の先生として、熊本に来ている。4年3か月英語をおしえていた。その間に漕艇部の部長もしていて江津湖にはよく足を運んだようである。水前寺公園でも、江津湖でも多くの俳句を詠んでいる。漱石は水前寺江津湖公園が大変、気にいっていたようである。


上の写真は出発前に、マップで歩くコースを説明しているところです。場所は県立図書館の東、熊本市体育館の敷地になります。この場所には明治41年~昭和54年までアルコールの醸造が行われていました。工場は赤レンガと高い煙突が特徴的でした。工場からの不透明な鉛色の廃液が江津湖に流れ込んでいることを、徳富蘆花が文章にしている。70年以上にわたってアルコール工場の廃液が江津湖を汚したことも事実である。

私は、芭蕉があるこの付近が大好きです。夏目漱石も芭蕉が好きだったようで、いくつも芭蕉の俳句を詠んでいる。一句紹介しよう。「恐る恐る芭蕉に乗って雨蛙」高浜虚子は「縦横に水のながれや芭蕉林」と詠んでいる。虚子も芭蕉と伏流水の生命力に感動したのであろう。虚子が俳句雑誌のホトトギスに載せて、江津湖の芭蕉林が全国的に有名になったといわれている。芭蕉の葉は冬は茶色に枯れてしまう。夏の芭蕉は緑色で、わたしは緑の芭蕉林が生き生きとして好きだ。

上の画像は下江津湖である。上江津湖の3倍の広さはあるが、湖の透明度は上江津湖に比べるとかなり低い。低い理由は、湧水量が少ないからである。五高の漕艇部の部長を漱石はしていたが、当時は下江津湖も今よりも綺麗だったのであろう。友人達と水泳もたのしんでいる。中の島の左側に見えるのが、飯田山である。飯田山と金峰山の背比べの面白い民話が残っている。

この川は健軍川で、沢山のアユが群れている。江津湖周辺のアユは縄張りはない。球磨川のアユみたいに大きくはならないようだ。温暖化で海や川の水温が上昇し、アユにも住みにくい環境になっている。健軍川は水無川といわれている。ここから上流1キロには水は全くない。上流約600m(元市民病院付近)から忽然と伏流水がこんこんと湧いている。雨でない時の川は湧水ゆえに非常にきれいである。しかし、ひとたび大雨が降ると、水かさが増えて汚れた茶色の健軍川に変身する。ここから約100m下流で加勢川に合流する。そして健軍川の名称はなくなる。


秋の開催日時は10月22日と11月19日です。時間は9時15分~12時頃までです。集合場所は県立図書館の東側です。
参加費は700円(保険料、資料代、ガイド料)です。雨天決行で、公共交通機関を利用してお越しください。歩行距離は約3キロ(図書館~上江津湖~中江津湖~下江津湖)この行程には、俳句などの文学碑が数多く存在します。


熊本市は平成25年に、なんとなんと国連から「命の水最優秀賞」をいただきました。「世界に誇る地下水都市熊本」です。そのシンボル、代表が江津湖です。その江津湖を楽しく歩きませんか。江津湖ガイド水守が面白くご案内します。


当日持参するものは、歩きやすい靴、飲み物、帽子などです。マスク着用を必ずお願いします。【楽しくて面白いイベントです是非ご参加ください】

熊本面白倶楽部 代表 永田幸一 携帯 090-2858-4760


第38回全国都市緑化熊本フェアーが3月19日~5月22日まで開催されています。熊本面白倶楽部にも花博の実行委員会からイベント開催の依頼がありました。熊本面白倶楽部の担当イベントは江津湖フットパスです。フットパスとフットサルとは似ていますが、関係はありません。フットパスは思い思いのペースでぶらぶら歩くことです。水前寺江津湖公園は広い公園で、綺麗な湧水がありますので、散策には持って来いの場所です。ぞうさんすべり台(ゾウさんプール)のところで、参加者にハート形の航空写真をみせている画像です。なんとなんと、ゾウさんプールの池はハート形をしているのです。その発見者は熊本面白倶楽部の永田です。


阿蘇に降った雨等が20年後に江津湖に湧いていると言われています。20年間地中で磨かれた伏流水はミネラル分をバランス良く含んだ大変に美味しい水です。なぜ、熊本の水は美味しいのか、それには阿蘇溶岩と砥川溶岩が深く関わっています。阿蘇や清正公等の先人のおかげで熊本地域は日本一の地下水都市になりました。しかしながら、阿蘇地方に大雨が降り白川は洪水被害がたまに発生します。

ここは、県立図書館の南にある芭蕉園です。芭蕉という植物は寒さに弱いので冬、葉っぱは茶色に枯れてしまいます。芭蕉園は春~秋にかけて青々となり素晴らしい空間になります。芭蕉の仲間には3種類あるといわれています。バナナを収穫する実芭蕉、芭蕉布の原料になる糸芭蕉。それに花芭蕉です。江津湖にある芭蕉は、全部花芭蕉です。6mを超えるものもありますが、樹木ではなく植物になります。植物からか、寿命は短いです。夏目漱石は芭蕉が大好きだったと言われています。熊本市の北千反畑町の第六旧居にも終の棲家の漱石山房(東京新宿区)にも芭蕉が植えてありました。


 

令和3年12月12日に益城町の震災遺構と水前寺のり養殖場をマイカーで巡るイベントを行った。参加者はスタッフも入れて23名。マイカーは14台、全車に赤いリボンをつけていただいた。スタートは益城町のミナテラス、ゴールもミナテラスである。最初に見学したのは、水前寺のりの養殖場である。養殖場の社長から、面白い話を聞くことが出来た。スイゼンジノリの成長は寒い時期より暖かい時期が成長が早いようである。のりは江戸時代、幕府への献上品であった。このノリは養殖が非常に難しく、日本では三ヶ所(福岡の朝倉市、益城、嘉島)だけである。もともとは食べ物として生産されてきたが、現在は色々な用途がでてきている。化粧品や肌着などに広く使用されている。

ここは、平成30年に国の天然記念物に認定された、谷川の地表地震断層である。益城では3カ所が天然記念物に認定されたが、谷川は極めて複雑な地表地震断層になっている。参加者がいるところが、隆起したところで、ガイドがいる北側が約70センチ盛り上がり、南側が40センチ盛り上がりました。北側は隆起と左横ずれを起こし、南側は隆起と右横ずれを起こした。そういうことで、谷川は、共役断層が発生したといわれている。


上の画像は堂園の地表地震断層である。ちょっと、わかりにくいが畦道がクランク状に曲がっている。画像は下が南で上が北である。北側が2メートル50センチの右横ずれ断層である。地表に断層が現れるためには凄まじい力(エネルギー)が作用しなければならない。堂園地区では建物が約7割倒壊したといわれている。


上の神木は地表地震断層の真上に立っていました。神木の根っこに凄まじい力が働き、木は一瞬に倒壊しました。震度7の破壊力は想像を絶する。わかりにくいが下の画像は根っこが縦になっている。根っこはいくつもの大石を抱いている。熊本地震から5年半たち神木は朽ち果ててきた。震災遺構の保存活用の難しさを感じる。

 

 

 

 


前回の春のフットパスは大変な雨でしたが、秋のフットパスは晴天になった。晴れで散策日和だったが暑かった。こういうイベントは11月がいいかもしれない。参加依頼が多く毎回、10名程度はお断りしなければならない。今回は久しぶりに水前寺公園参道からのスタートにした。参道入口には大きな石の鳥居があったが、熊本地震で壊れた。夜の地震で人的な被害はなかったようだ。石の鳥居は危険なので木造(ヒノキ)で10月完成した。建築場所は公園の入り口である。コロナが早く終息して水前寺公園の入園者が増えることを祈るばかりである。

上の写真は芭蕉林で多くの芭蕉が林立している。俳人の松尾芭蕉も芭蕉が好きだった。夏目漱石も芭蕉が好きだった。漱石は芭蕉の俳句をたくさんよんでいる。芭蕉に似た植物でバナナがある。バナナは食べるので実芭蕉ともいう。芭蕉布を取るのは糸芭蕉という。芭蕉布の価格は安いものから高いものなどいろいろである。

この木はクスノキで、県の木に指定されている。クスノキから樟脳ができる。葉っぱをもむといい香りがする。ここからゾウがいるところまで3.4キロある。江津湖は全体で日量、50万トン以上の湧水量があるので、夏は涼しくて冬は暖かいと言われている。


熊本城は日本三大名城の一つで、大変に広いお城です。熊本地震から5年以上経過しましたが、手付かずの櫓もあります。「奇跡の一本石垣は飯田丸五階櫓」が全国的に有名ですが、この戌亥櫓も「奇跡の一本石垣」です。平成28年の熊本地震で熊本城は二カ所の櫓で奇跡の一本石垣が出来たことになります。上の画像の戌亥櫓の石垣は本当に不安定な状態です。震度4ぐらいの地震で石垣も櫓も崩れ落ちるかもしれません。早い修理が望まれます。下の画像、本丸にある大天守閣も素晴らしいですが、二の丸周辺にある、崩れた石垣などをゆっくり散策されませんか。地震の凄さや恐さを感じることができます。三分の一の石垣を修理する必要があります。修理には長い長い時間がかかります。

大天守の南に設置された空中回廊から撮った写真です。一番高いのが天守閣です。天守閣の下に見えているのが、本丸御殿の茶室です。右側の高い石垣が二様の石垣です。右が清正公時代の石垣です。左が細川時代の石垣です。石垣の上に少し見えている屋根が本丸御殿です。本丸御殿も熊本地震で被害がありました。54億円かけて平成20年に完成した御殿に早く入れることを強くのぞみます。


上の特別見学通路(空中回廊)の床はヒノキ材で17億円の工事費用がかかりました。下の天守閣はなんとなんと86億円。空中回廊と天守閣で103億円です。令和の天守閣は地震に強い構造ですが、その地震に強い構造を見ることができるように建設されました。天守閣内部の展示資料も格段に充実しました。入口にある深い井戸は見ごたえ十分です。熊本城の深い井戸は見応え十分です。

戦国武将の加藤清正公が火の国、熊本に築いた城は規模の大きさ、堅い守り、見事な石垣で知られる日本屈指の名城である。天下分け目の関ヶ原の戦いは1600年の9月15日である。その一月後の清正書状に「黒田如水殿を熊本の新城でもてなすので完成を急げ」と指示している。関ヶ原合戦の時はこの大天守閣の新築工事は急ピッチで進んでいたようである。清正公の天守は大天守閣だけで小天守はつくらなかった。さて、熊本城がある茶臼山は約9万年前の阿蘇火山の火砕流堆積物で出来ている。城域は三つの川の浸食によって、高さ25m~45mの崖が形成され、天然の要害になっている。阿蘇から50キロの距離にある茶臼山であるが、阿蘇火砕流は新幹線なみの猛スピードで流れ下ったと言われている。阿蘇4の火砕流大噴火は9万年前の噴火である。