熊本城は令和1年10月5日から特別公開を始めた。毎日の公開ではなく、基本的に日曜と祝日だけである。令和2年の4月29日から平日も見れる特別見学通路が開通する。初日の5日は世界から多くの観光客が名城、熊本城を見学された。令和3年の春からは、大小天守閣の建物内部に入れるようになる。工事関係者さんの頑張りで少しづつ順調に工事は進んでいる。


熊本城で一番高い、宇土櫓の石垣である。高さは約22mである。熊本城で一番高い石垣が崩落しなかったことは、非常に幸いであった。3年半前の熊本地震では、どんな石垣が崩れ、またどんな石垣が耐えたのであろうか。専門家の見解は出ていないが、地震に強い石垣は、緩やかな勾配で、尚且つ武者返しの石垣が強かったようだ。この宇土櫓の石垣も曲線の武者返しの石垣である。清正公は天下普請の江戸城の築城にもかかわっている。準備する石に対して「ひかえの短い石ではだめだ、小さくてもいいのでひかえの長い石を持ってきなさい」と、長い石が崩れにくいと言われている。清正公は築城の名手、石には非常にこだわりがあったようだ。


この石垣は熊本城で一番有名な大天守台の石垣である。この石垣も崩れなかった。スロープに人が確認できるが、すぐ近くから大天守を仰ぎ見ることができるようになった。本丸では天守閣の工事が急ピッチですすんでいる。


大小天守を東の本丸から撮影した。ご覧のように多くの建築資材等がところせましと置かれている(令和1年10月5日撮影)早く本丸から建築資材等がなくなることを祈るばかりである。令和の天守閣は地震に強い建物に少しずつ生まれ変わっている。この何年かは毎年、甚大な災害が日本を襲っている。災害列島の日本では先ずは、建物を丈夫にすることが重要である。では地震に強い建物はどんなものか。建物は上、頭が重たいと地震に弱いようである。大小二つの天守閣の最上階は30%の軽量化に成功している。


ここも、本丸である。建築資材等が多く置かれているので、本丸のスペースが狭くかんじる。左の大木は清正公のお手植えと伝わる大銀杏である。本丸の角々にも多くの地割れが発生した。本丸周辺は地盤が軟弱と言われている。軟弱地盤は地震にも弱いと考えられる。そこで、天守閣には12本の基礎杭が47mの深さに打ち込んである。ここは本丸であるが、ここには阿蘇火砕流堆積物が40m堆積している。どこのお城も本丸は高いところにあり、熊本城も一番標高が高いここに大小天守閣を設けている。