清正公が心血を注いだ江津湖をもっときれいに

江津湖は戦国時代の武将、加藤清正公が造った、河川膨張湖です。この付近は大昔から低湿地帯で米が出来にくい土地でした。そういうところなので、今も西無田、上無田、下無田の地名が残っています。無田とは田が出来にくい土地の意味があります。農家はお米の収量が少ないので非常に困っていました。そこで、清正公は川尻まで右岸側だけ堤防を築きました。そうしたら、どうでしょう堤防の西側は米の生産地帯に生まれ変わりました。堤防の東側は湖になりました。これは江津湖と言われています。清正公が白川中流域に大規模な水田開発をしたので、江津湖や水前寺公園の湧水量が一段と増えたと言われています。

ここは、下江津湖北側のサイクリングロード付近です。梅雨時は度々大雨になり上流から色々なゴミが流れ着きます。ほとんどのゴミは海に流れこむでしょう。一部のゴミが江津湖の湖底に留まると思われます。いろいろなゴミが落ちていますが、ゴミの種類を見ていきましょう。ペットボトル、空き缶、レジ袋、菓子袋、発泡スチロール、等々。人間様がゴミのポイ捨てをやめたら、江津湖もほかの河川も綺麗になることでしょう。渡鹿堰から大出、そして一ノ井手、二の井手、三の井手と用水路が流れていますがどこもひどいゴミです。熊本市民は「命の水」を大切にしょうとする公共心、マナーが希薄なのでしょうか。ゴミの多い江津湖を見るのは辛いものがあります。海もプラゴミ等で海洋汚染が深刻な状態です。

下江津湖の東側から西側を見た素晴らしい夕焼けです。清正公は領民の為に、必死で土木工事を行いました。清正公が「土木の神様」と言われる所以です。我々は、常日頃から清正公や先人の努力に感謝し、河川と水を大切にしていきましょう。将来の地球の為に、そうしなければ、人類に未来はありません。このままでは、大変に恐ろしいことが、地球に起こりそうです。現に恐怖が現実のものになっております。日本列島は春や秋が短くなりました。大雨などの大災害が毎年、頻繫に発生しています。今の夏の暑さは50年前の夏とは全然違いますね。地球が人類にたいして牙をむき出しにしています。地球温暖化をわれわれ一人ひとりが本気に考え、行動に移すときが来ています。地道な行動、実践をしていきましよう

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